箱根へ
(2012.03.01)
真鶴での工事、少し暖かくなってからの仕上げを残し・・・
師匠(金綱造園事務所)の工事で箱根に来ています。
暖かい真鶴とはうってかわり、雪がぱらつく寒さの中、作業を進めています。
写真は一般ではあまり目にしないお茶室です。仰木魯堂作・・・
完成は5月になりますが・・・楽しみです。
(2012.03.01)
真鶴での工事、少し暖かくなってからの仕上げを残し・・・
師匠(金綱造園事務所)の工事で箱根に来ています。
暖かい真鶴とはうってかわり、雪がぱらつく寒さの中、作業を進めています。
写真は一般ではあまり目にしないお茶室です。仰木魯堂作・・・
完成は5月になりますが・・・楽しみです。
(2011.12.31)
今年2011年も残り数時間で終わろうとしております。
私事ですが、今年は独立させて頂いてから10年目の年を迎えさせていただきました。
庭師として師匠の教えを受けて少しずつ、お客様に育てられ、仲間に支えられ、今ここにあります。
何度も止めようと思うとき、”取りあえず10年は歯を食いしばってがんばれ”とよく言われました。
10年・・・長い月日です。
どんな事でも10年、一途に頑張っていれば、形が見えてくるのでしょうか?
今が正しいかは分かりません。
しかし物を造るという作業に後悔を残す事はしないようにしています。
後で”ああしとけばよかった”と思いそうな出来ならば、最初からやり直した方がいい。
今年は真鶴での大きな工事を元に、とてもいい経験を積ませていただきました。
今年1年、私を信じて施工させていただいたお施主様、力を貸して頂いた皆様に大変感謝いたしております。
来年も”唯一の物造り”をしていきたいと思います。
どうぞ宜しく御願い致します。
(2011.10.05)
今年は、出張の大きな現場が続き、沢山の仕事が山積みとなり設計見積り等大変ご迷惑をお掛け致しております。
そんな忙しい日々ですが、もう一度・・・と心にあった災害ボランティアに行ってまいりました。
場所は南三陸町です。報道等で防災対策庁舎の目を覆いたくなるような映像があります。
現在、南三陸町では約7割に重機が入り瓦礫の撤去が進んでいます。しかし残り3割はまだ重機すら入ることの出来ない地区も残されているそうです。
町内で800人もの死者を出し、今だに300人が行方不明です。
今回の作業は、重機が入った後の手作業で行う瓦礫の分別です。
1つの町を手作業でガラス、コンクリートガラ、燃えるゴミ、鉄くずに分けて集めていきます。
3月から約7ヶ月震災の関心が少しずつ薄れていきます。
しかし、被災地は、避難所から行政の対応が待ちきれず、新たな仕事、住まいを探し新しい土地に出て行く被災者が大勢います。
復興の兆しすら見えない中、取りあえず町から瓦礫を無くそうとしています。
1つの町の瓦礫を手作業で分別していく、掘れば掘るだけ瓦礫が出てくる。
無意味に感じる作業でも痛んだ町を元の美しい町に戻したい。
各町のボランティアセンターには震災直後から働いているボランティアの人たちもいます。
皆、無償で・・・
忘れてはいけません
東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)、まだまだ沢山の人の力が必要です。
写真は作業後、海沿いの高台にあるホテルのロビーから南三陸の町を眺めたところです。
このホテルかなりの高台にあるのですが・・・
7月にやっとオープンにこぎつけたそうです。
絶対に思い出にしてはいけません。
(2011.06.10)
石積みもひと段落、長い距離の困難な石積みが今日終了しました。
積んだ石積みは下になり全く見えませんが、この長い距離の空間はなかなかのものです。
次は階段に取り掛かります。
石の質感、存在感、使い方1つで庭は変わります。
広い庭、狭い庭と区別無く1つ1つの仕事があります。
是非、石に触れてみて下さい。
(2011.06.04)
先日29日の日曜から1日までの短期間でしたが、石巻の災害ボランティアに参加させていただきました。
3月11日の東北大地震、とても怖かったです。
地震からの数日は5年生だった娘は”テレビをつけると怖いから消して”と言うほど津波による悲惨な状況が連日放送されていました。
”大丈夫でしたか?”と声を掛けることさえ怖く出来ない自分がいました。
何かあったら、私は何をしてあげられるのだろうか?と・・・
新聞には毎日のように数ページに亘り”お亡くなりになった方々”と名前と年齢が並べられています。自分の子供達と同じような子達さえも沢山いて涙がぽたぽたと落ちるのに、新聞さえも開くのが嫌になりました。
そんな最悪の事態から3ヶ月が経とうとしています。
仲間から泥出し、瓦礫の撤去のボランティアに行く人がいないからと連絡を貰い凄く悩みました。
心の中では、”自分に出来ることがあるのだったらすぐに行きたい”と言う思いがあります。しかし、仕事を空けること、金銭的なこと、準備の時間などを考えるとやはり踏み出せません。
ず〜〜〜っとしこりのように心の隅に引っかかっていました。
怖くて何も触れられず、”お悔やみ申し上げます”と簡単な言葉で終わらしてはいけないのではと思うような悲惨な状況、ボランティアの話が来たのはどこか怖がって避けていた自分に”行け!”と言っているのかもしれないと思います。
かなり悩みましたが思い切って行くことにしました。
津波を受けた地域は想像を絶する光景が広がっていました。
人の力など本当にちっぽけな物だと感じました。
日常の生活が一瞬にして地獄を見ているかのような光景に変わっているのです。
ボランティアに参加して多くの事を感じ、体験し、見て聞いて来ました。
政治家、役人は何をやっているのでしょうか?
次の世代の子供達へどんな日本を残せるのでしょうか?
まだまだ被災地は日常生活とは程遠い状況にあります。
私に出来ること・・・また必ず行きたいです。
ボランティアは誰かに救いの手をさしのべる、助ける為の行動では無い様に思います。いろいろな想いがあるとは思いますが、自分の為に・・・、私自身を強く、たくましく、”頑張らないと”と勇気付けてくれたのではないでしょうか?
今回、このボランティアを実行した庭師たち、私に声を掛けてくれた人に感謝しております。